アサシンと配信

アサシンではないけどクリード
まだAssassin's Creed Odysseyを遊んでる。面白い・・・いや、このゲーム純粋に凄くない?
割と広めのオープンワールドながら各地のロケーションの作り込みが壮絶すぎる。そりゃ確かに似たような建物や装飾で統一されているけれど、配置や勾配をうまく利用してコピペ感を感じない。街のスケール感も違和感が無く生活感を感じるし、逆に巨像や巨大建築はウソ臭さを突き抜けて壮大さに息を呑む。こんなのを前作Originsからたった1年で作ったという人間の業の深さが恐ろしい。(まあ色々使いまわしてんだろうけど)

普通にゲームの歴史のマスターピースの一つに数えられえてもいい出来だと思うんですけど・・・なんだろうこの無視されてる感は。いや、確かに各所のレビューサイトでかなりの高評価だしクソ売れてるんだろうけど、評価としてイマイチ伝わってこないというか。実際TGA2018なんかだとRDR2やGoWなんかが複数受賞してもこれはノミネート止まりだし。
そして評判の代わりに話題になったのが「レベル上げが課金前提」という悪評だけど、実際やってみるとそもそもレベル周りの調整が崩壊してるせいで上がらないのは大した問題ではないのでいいと思います(よくない)

まあ・・・若干卑屈めいた言い方だけど、やっぱりアサクリというブランドはもう高評価を下すには抵抗があるシリーズになってしまった感がありますよね。RDRやGoWが評価されたのはシリーズを大事にして、ゲームという文化に真摯に向き合ってるからというのも多分にあるだろうし。
毎年のようにシリーズ作品を乱発して、肝だった暗殺要素も薄くなって、なんかウィッチャー3が話題だから真似して、終いにはDLCとアイテム課金まみれになったこのゲームをなんか褒めたくないのはわかる。もうゲームは音楽と同じで、作っている人たちのカッコよさも評価の一部分になってる気がするんですよね。特にゲームブログやメディアのコメント欄の人たちなんかはそんなカッコよさだけで評価してる気がする。偏見。


配信沼
「生放送にシフトするのは手っ取り早く承認欲求を得られるから」という説はゆっくり実況の時代から言われていたし自分もそう思っていた。しかし自分がいざ生放送に手を出してみると全然違くて。
まず動画で得ていた数万再生数千コメントというリアクションの規模と比べると、生放送の数百視聴というのはリアルタイムといえど全然足りない。そこは代わりにはならない。
そして動画投稿から生放送に比重を置くのは、シフトじゃない。その2つには大きな壁があって、使うエネルギーや向き合い方の「種類」が違う。だから配信がつまらなければ動画作りに戻るというのはあり得ない。

投稿者が投稿をやめるのは、やっぱり「疲れた」が一番大きいと思う。単純に時間がかかるというのもそうだし、前回の動画を超えなければならないというハードル、何を投稿しても数万人に視聴され評価されるというプレッシャー。そういうのが積み重ると投稿するのが億劫になって、少しずつフェードアウトするんだと思う。
それとは別に築き上げた人気やフォロワーは維持したい、何か続けたいという恐怖から生放送を始めるのであって、そこは楽しさが云々という話じゃない気がしますね。どっちが楽しいかっていったら動画投稿の方が絶対楽しいですよ。

だからむしろ、応援しないほうが長続きするのかもしれない。極論だけど。


 
こういうの見るとやっぱり字幕は野暮という感じがしますね。キャラ付けとテーマがハッキリしてるから最低限のセリフと表情で話を作れてる。
あと年数表示がカッコ良すぎる。ゲーム内の表示かと思った。


動画を作る理由は色々あると思うけど、この人のこの密度の動画を13分も作る情熱の出処がわからない

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